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シリアのぴんぼけ写真


by ned77

ごあいさつ


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ビラードシャームというのはシリアの古いアラビア語名です。
古典アラビア語で正確には「ビラード・シャ・シャーム」ですが、口語的で発音しやすい「ビラード・シャーム」にしました。
シリアはメソポタミアの時代から今日まで、極めて変化に富むダイナミックな歴史を秘めた国で、遺跡も豊富です。このブログは工事中です。「みみずのしゃっくり」をご覧ください。

新たにアップした記事は、この下にあります↓(^^;)


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                  シリア北部にある古都アレッポの中央にそびえる古い城塞です。
                  これから、ピンボケ写真の数々を整理してアップします。
                  
# by ned77 | 2010-12-31 07:52 | ごあいさつ

ダマスカスの川

ダマスカスの生命線はバラダ川です。一年中流れている唯一の川だからです。
ほかの小川は、雨の降る時期には水流がありますが、雨の降らない数ヶ月には「空堀」になってしまいます。

国立博物館(画面右外)の脇を流れるバラダ川
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旧市街のバラダ川:伝統的民家が修復されず荒廃しているのが残念です
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数十年前には、子供たちが水遊びをしていたそうですが、今は汚染のため無理
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バラダ川は、ちょっと変わった川です。アンチレバノンの山中を水源に、ダマスカスを貫流
ゴウタと呼ばれる緑地帯(中東最大のオアシスとも呼ばれます)を潤し、姿を消します・・・
地下水となったバラダ川が最後に姿を現すのがパルミュラのオアシスです。
パルミュラについては、今後順次アップします042.gif



夏に干上がる小川のひとつトラ川
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数年前、2年続けて、個人教授を受けるためアラビア語の先生のお宅に通いました。
そのとき、いつも、この小川に沿って歩きました。写真は2枚とも4月のものです。
8月に通ったときには、水が殆どなく、ところどころ汚れた水溜りが残っているだけでした。
# by ned77 | 2010-03-09 04:35 | シリア雑記

シリアの川

シリアの現代史から始めて古代に至ると、順序としては古代史から現代史へ進むというアイデアでアップ始め、その他の分類項目について合間合間に悪い頭を悩ませていましたが、下手な考え休むに似たりで、きりがないので、見切り発車、細かいものは雑記に入れることにしました。042.gif

ユーフラテス川とオロンテス川はWikipediaにあるのでリンクしてみましたが、うまくつながりません。以前のリンクは機能しているのですが、前回記事「国立博物館」から、リンクができなくなりました。何故か不明です。ご存知の方は「みみずのしゃっくり」までお知らせくださいm(..)m

シリアで一番知名度の高い川はユーフラテス川。トルコ国境のジャラブルス(ジェラブルス)とデリゾール(ディルアッズール)の写真です。著名な大都市を除き、地名などのカタカナ表記には定番がありませんので、幾つかの書き方があります。

ジャラブルス付近のユーフラテス川
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向こう側はトルコです
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デリゾールのユーフラテス川
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ユーフラテスで釣りをする人たち
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地図をスキャンしてカタカナで地名と川名を入れてみました
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オロンテス川:ユーフラテス川とは逆に北上してトルコ領内で地中海に注ぎます。
ハマーの有名な水車(川より高い位置にある耕地に水を送り込みます)
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ジスル・アシュ・シュグール(ジスルアシュグール)のオロンテス川
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ジスル・アシュ・シュグールはアレッポの南西にあります
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更にダマスカスの川をアップしようとしたのですが、1回のアップ可能KB数を超えたのか、画像をアップロードできなくなりました。ダマスカスの川は次にアップします。008.gif
# by ned77 | 2009-12-18 06:27 | シリア雑記

ダマスカス国立博物館


新市街地中心部の一角に広い緑地帯があります。
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緑地帯と平行にバラダ川が流れ、広い通りになっています。
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この通りに面してダマスカス国立博物館があります。
フランスによる委任統治領時代の1919年に開設され、当初は旧市街にありましたが、1939年から順次、現在地に移されました。建物の外観はパッとしませんが、貴重な考古学的出土品いっぱいの重要な博物館です。
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広い前庭の池の向こうに博物館の入り口があります。入り口を飾るユニークな構築物は、ウマイヤ朝(661~750)時代の砂漠の城「カスル・アル・ハイル・アル・ガルビ(西の豪華な城)」の城門を、そのまま移築したものです。8世紀初頭に建てられ、ペルシャ、古代ローマ、ビザンツ、シリアなどの建築様式が混合されています。因みに、この城と対をなす「カスル・アル・ハイル・ア・シャルキ(東の豪華な城)」は今もシリア砂漠に立っています。
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残念なことに、ここは内部撮影禁止ですが、前庭にも貴重な出土品が、殆ど無造作に並べられています。下の水車は、ダマスカスからアレッポへの途中にある地方都市ハマ周辺で使われていた水車の模型です(本物は、もっと大規模なものです)。
ハマの水車は、粉引きなどに使われるのではなく、低地を流れるオロンテス川の水を、それより高い位置にある耕地に導くための水路です。最も古い水車は600年前のものと言われ、多くは16、17世紀からのもので、灌漑施設の近代化が進んだ今も、記念碑として残され、ハマの観光アトラクションとなっています。
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説明の表示がないので、正確なことはわかりませんが、モザイクはビザンツ時代のものと思われます。獅子の石像も時代確定出来ませんが、黒い玄武岩製なので、シリア南部ハウラン地方(玄武岩の産地)で制作されたものでしょうか。
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前庭の様子です。手前にも、ユニークな柱頭が見られます。
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内部の展示で最も印象的なものは、オリジナルを移築再現したドゥラ・エウロポスのシナゴーグと、19世紀に建てられた上流市民の邸宅から移築再現されたサロンです。(シナゴーグはユダヤ教の礼拝堂)

ハマとドゥラ・エウロポスについてはWikipediaに日本語記事があるのですが、何故かリンクが出来ません。
それで、ダマスカス国立博物館で購入したドゥラ・エウロポスのシナゴーグ写真集の表紙と裏表紙をスキャンしました。

表紙:左からモーゼ、中央祭壇、律法学者エズラ
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裏表紙:ダマスカス国立博物館に再現されたシナゴーグ
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# by ned77 | 2009-09-15 04:37 | 現代史

東の快速号

ザバダーニは、ダマスカスから北東へ車で1時間から1時間半のところ、レバノン国境近くのアンチレバノン山脈のなかにあるリゾート地です。
歴史的なヒジャーズ鉄道の起点であるヒジャーズ駅から、毎週金曜日(休日)の朝、歴史的な列車がザバダーニに向かい、午後ザバダーニからダマスカスへ戻ります。

ヒジャーズ鉄道は、オスマントルコ帝国時代、ヒジャーズ地方(現サウジアラビア領内)にあるメッカへ行く巡礼を運ぶのを主な目的として20世紀初頭にドイツの援助で建設されました(軍事的目的もあったことは明らかです)。この鉄道は、第一次大戦中イギリス軍とアラブ・ゲリラによって徹底的に破壊され、もう1世紀近く放置されています。
起点であるダマスカスのヒジャーズ駅からは、南に向かう線路のほか、もうひとつの線路がザバダーニへ向かいます。当時から、ザバダーニが高級避暑地であったためと思われます。
ザバダーニへ向かう列車は「シャルキー・サリー」(東の快速号)と呼ばれます。開通当時は快速だったのでしょうが、自動車で1時間余りのところまで4時間半かかります。今では「カタツムリ号」といった感じです。

ヒジャーズ駅の外観
建造時代も近いので、イスタンブールにあるオリエント急行の終着駅と似た雰囲気があります。ヒジャーズ駅は、もう通常の駅としては使われていませんが、記念館として公開されています。
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ホームには、当時の列車が展示されています。この列車がザバダーニへ向かうわけではありません。ダマスカスの友達に誘われて一緒に出掛けた金曜日、ホームに入ってきたのは、息も絶え絶え、つつけば分解しそうな列車でした。
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車両の中も、本当に「歴史的」。当然のこと?ながら、トイレも車内販売もありません。
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マイサルーンのところでも紹介した写真ですが、列車は、砂漠の中を帯状に伸びるオアシスのようなバラダ渓谷に沿って、ゆっくり、ゆっくり進んで行きます。
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途中の駅のひとつ。テキエとも読めるので、修道院か何かあるのか、あったのか?
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車内販売もないので、ガスボンベ持参の人がコーヒーをいれていました。
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タイムマシンで100年前に戻ったような走行風景
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漸くザバダーニ駅に到着した「東の快速」号
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高級避暑地で、湾岸諸国の人たちがバカンスを過ごします。私たちが行ったのはダマスカスで45度くらいの夏の最中でしたが、ザバダーニはどうやら30度台で、やや肌寒く感じました。
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この旅で困ったのはトイレ。列車は時々止まったりしましたが(列車の息切れのためか?)、短時間で、しかも周囲には何もありません。何しろトイレの近いタチなので、トイレ休憩の停車前に、もう極限状態に(>.<)・・・満員の車両をオロオロ行ったり来たり、車掌らしい人物も「トイレ停車を待て」と言うだけ。
ところが、何故か一時停車したところに、民家が幾つか並んでいました。列車を見にきた子供たちの一人が、私の窮状を察したらしく「ウチはそこだよ」と教えてくれ、機関士に待っててくれと言い渡して、その子の家へ駆け込み、一安心\(^o^)/
車中をウロウロして発見したのは、物好きな外国からの旅行者らしい乗客は、ほんの数人だったこと。他の乗客はすべて、このカタツムリ列車を楽しむ?土地者ばかりでした。
帰りも列車を使うと夜になってしまうので、帰りはマイクロバスに乗り、あっという間にダマスカスに帰り着きました。
観光局でも、この列車を観光アトラクションにしようという意図は無いらしく、ネット情報にも、この列車を紹介したものはありません(T.T)
# by ned77 | 2009-01-22 09:02 | 現代史